途中で記事が切れましたので。
追悼にふさわしいお花が見つかりませんが?
私から見える学生時代!から〜
同じ通学バスに乗る彼は牧場主の御曹司(お父様が後に軽種馬生産を地域に拡める立役者となる)
細身長身の先輩は女子高生には眩しい存在であったかも?
その後の履歴はこの写真をご覧ください。
私が勤務する金融機関やJSカンパニーの株主でもあり、常に“誰かの為!”に気力を注ぐ方でした。
そして「褒める」ことも忘れませんでした。
当時怖いもの知らずの2人の女性「ゆみこ&ようこ」は軽種馬生産業に特化した女性学習グループを
企画、立案し賛同者を募る!(牧場経営者や団体からの外圧が重くのしかかる)そして
「名牝クラブ」と命名。先ずは講演会を計画し時の人「軽種馬生産の同業者、クラブラフィアン
オーナーの岡田繁幸氏」を講師として招聘の依頼する。
「洋子ちゃんに頼まれたらNOーとは言えないなあ?」と快諾頂き様似町に来て下さった繁幸さん。
3時間にも及ぶ“熱弁”頂き、発足間もない貧乏クラブでしたから「薄謝」でお許しください!と
差し出したところ、その薄謝にご自身のポケットマネーを足して下さったのです。
「苦労するだろうけれど、目指す事は必ず馬産地に生きるから頑張りなさい」と活動資金として
ご寄付していただきました。(嬉しくて涙が止まりませんでした。)
応援資金を基に「ひと と うま との ハーモニー 講演抄録」を作成して会員に届ける事が
出来ました。(今も私の大切な指南書として傍らに置いてあります。
バブル崩壊、リーマンショック等々経済恐慌により日高の牧場生産馬が売れなかった時代において
岡田氏の購買力はどれだけ産地を支えてくれた事でしょう。(御父上と同じ面倒見のよい方でした。)
やはり遺伝子に支配を受けているのでしょうか?
誰の言葉か?忘れたけれど。
岡田氏は子供時代から体力的には恵まれなかったかも知れないが、知力、気力は超人でありました。
ビックレッドFの事務所には趣味で描かれた絵が飾られている。驚くのは「とらえる観察眼の深さ」!
異色な趣味では「そば打ち(共通する唯一の趣味なんです)」クラブ会員に振舞われていたそうですね?
最近では、私の友人が営んでいる“ジビーフ(完全放牧の牛肉)”がお気に入りでわが町まで買いに来てくれ
ていました。
突然の訃報に驚くばかりの私ですが、ご自身にして見れば不治の病と長期にわたり闘って来られた
辛さ、苦しみは図り知れないものでしたでしょう?背中を見て育ったご子息にバトンを渡し安堵の
この頃だったと察しておりました。〜お疲れさでした。ようやく穏やかな安らぎに時を感じていら
っしやる事でしょうね?
これからも人生の「師匠」と呼ばせて頂きます!〜〜人生の最終目標は心を高めることか?と
星空を仰ぎつつ。(合掌)