その前に!
我が家にとって6人目の孫ちゃん(長男の第1子)”然”君が舞い降りて来てくれました。
(産まれてすぐ!なのにお目々gもうあいています。)~めんこい~
仲間が去って、新しい仲間が増えてそれぞれが戸惑う日々でしたが漸く序列が決定しました。
初冬にしては暖かな日が多く、何より放牧地が緑なのが嬉しい!そして昨年より一週間遅く
なりました25日をもって”夜間放牧”終了致しました。
もう少し延長も考えましたが「モウケモン号」が帰ってきたので!
北海道指導農業士として3.11東北激甚災害があった「福島、飯館村、宮城」の
その後を学びに行ってきました。(プロペラ機でした)
仙台空港の前に位置する私住宅。まわりの防風林も住宅も全て流された中で1戸だけ流されなかった
住宅です。何故でしょう?
宮大工の手によって建築された住宅だった事が災害に耐えられた!と説明。(しかし居住はされていません)
「緑の堤防」の雑草刈り!のボランティア活動をさせて頂きました。
松林も堤防も決壊し何も無い海岸沿いに低木樹を密植する事により”津波”の速度や強さを
緩衝するのだそうです。しかし雑草(葦)があると成長の妨げになるので除草しなければならず
一助になれば幸いです。
果樹栽培農家へ嫁いだ「ど根性母さん」は非農家からの挑戦!お義母さんの姿を見て”農家の
女性は家事、農作業となんでもこなさなければならない負担の重さを感じた。そこから、「GAP]の
取得に取り組む。結果、従業員パート、家族の役割が明確になり働き方改革が出来、経営が安定し
選ばれる事業所になった。成人前に嫁いだ女性の活躍!の1コマでした。
原発事故により被災した酪農家が福島市において、NPO法人を立ち上げ
牧場経営を再開「ミネロファーム」。現在136頭ですが200頭をめざしています。
5年前、私が訪問(福島大と北大連携のリスクコミュニケーション)してから、NPO取得
まで応援していました。
代表責任者は現在も高速道路を使って60㎞を往復通勤しているとの事。
全村避難を余儀なくされた「飯館村役場」に掲げられた”陽はまた昇る”
「福幸」を願って?村を離れても村の伝統食や、いいだて雪っ娘(かぼちゃ)を守り漸く
村に帰村を許され栽培スタートするが、何年も遊休地の為”イノシシ被害”にやられる毎日!
とみ子さん!5年前の訪問時と変わらず「強い精神力&ぶれない行動力」に圧巻!
現在は日本全国を飛び回る”超多忙人”福幸を復興した。
”再会”が実現しました。(とみ子さんは独身の頃、コシノジュンコデザイナーの洋服を
縫製されていた方でありました。(この経験が、いいだて雪っ娘作りにいかされている)
~あしからず~