2月27日。後藤浩輝騎手がご自宅でお亡くなりになりました(享年40歳)。
知らせをきいたその日の午後から今も、
自分の過去に起きた出来事(公にはクモ膜下出血としていますが、私の母も自死でした)とリンクして、後藤騎手の親戚でも何でもないのに、依然深い悲しみの中にいます。
もともと気持ちの切り替えがヘタなうえに、悲しいことが起きた時は、落ちるだけ落ちて、地の底を踏みしめないと這い上がることができない性格なので、ここは無理に急がず、いつものように、悲しみやさみしさの間を行ったり来たりしながら、時の流れに任せたいと思います。
私の場合「今から死ぬ」という母を失うかもしれないという恐怖と、懸命に試みたのですが力及ばず、説得して思いとどまらせることができなかった人生最大の後悔が、堤防を乗り越えてやってきた津波のようによみがえってきてしまい、後藤騎手の死がひとごとには到底思えませんでした。
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いつもお世話になっている競馬関係の方から一報をきいたときは、本当にびっくりして絶句してしまいましたが、それと同時に、ああ、何だか後藤騎手らしい意表の突き方というか、自分の終わり方だなと、不謹慎かもしれませんが正直そう思って背中を丸めてしまいました。
亡くなる前日まで、とても明るい笑顔の写真付きでフェイスブックを公開していたり、次週の競馬の騎乗に関しても「当たり前にその先がある」ことを周囲に思わせ、きっとその時までは、後藤騎手自身も「明日」のことを考えるいつもの夜を過ごしていたのだろうと思うのですが、もしかすると彼の心の中にはもうひとつの人生軸というものがあったのかもしれません。
私は後藤騎手と同じ血液型のBですが、どうしたってひとの前に出ると必要以上に明るくふるまったり、心の中とまったく違う自分に無意識のままなってしまい、本当の人間性なんて結局のところ、1ミリも表現できなかったりもします。親しいひとの前では余計にそうなってしまいます。こんな時に血液型をひきあいに出すなんておかしいのかもしれませんが、たまたま輸血をしあえる同士ということで、どうにか彼の心を理解したい気持ちで書いてしまいました。
後藤さんは太陽のように明るい方でしたね。ファンサービスにも熱心で、いろんな楽しいエピソードが山ほど出てきます。優しい人柄が愛された騎手でした。それ以上のことははわからないので一概には言えませんが、私自身は、ひとに心配をかけないために自分につくうそ(本当は全然大丈夫じゃない時も大笑いしながら大丈夫!と言ってしまうという類のうそ)がうまくなり、ひとを楽しませるための明るいうそをついたとき、自分でも、うそだったか本当なのか途中でわからなくなってしまうことがたびたびありました。ひとは少なからずそうしたことをしがちですが、時にはできるだけ小さく目立たないように揺れてみたいなと思いながら、気持ちのふり幅が極端に大きいのかもしれません。
私のことを明るくてわかりやすい人間だと言ってくれたひともいまずが、そんな時は、あぁよかった、このひとは私のひととなりを、まるでわかってない、なんて安心したりなんかして。
関係ないことをだらだら書いてしまいましたが、もしかして、後藤騎手の、あの天真爛漫な明るさは「それ」だったのかなと、つい思ってしまいます。
後藤騎手は札幌開催にあまり遠征してこなかったように思いますが、2010年ブエナビスタの天皇賞・秋で、初めてお目にかかりました。この頃、横山典弘騎手が落馬で頸椎を損傷して入院中。騎手生命の危機をささやかれた時でもあったので、特に印象深い年になっています。
はじめて入ることができた検量室前で、今まさにネヴァブションに跨る後藤騎手と遭遇し、こんなに小柄なひとが、こんなに大きな馬に乗るなんて、あらためてジョッキーはすごいなぁと、黒目の中に星を何個も輝かせてレースに向かう後藤騎手を見ていました。
場内を案内してくれたSさんが後藤騎手に何か合図をした時に、彼はにっこりと、皆さんご存知の「あの笑顔」で私たちをみてくれたのです。私は手のひらを合わせて指を組み、緊張のあまりどうしていいかわからず、祈りの姿勢のままぺこりと会釈しました。他の騎手はG1レース前の張りつめた武者震いの中、笑みなど浮かべる余裕もない時間帯です。それなのに後藤騎手は笑って応えてれました。
今思えば、なにもそんな時までサービスせずに、ふん!うるせーな、あっちいけくらいやってくれてもよかったのですが、それをしないのが後藤騎手なのでしょうね。これが私のたったひとつの彼との思い出です。
数いるジョッキーの中でも、明るいキャラクターと楽しいトークで、後藤騎手は競馬界のバラエティ班というか、そんなポジションにいた方だったと思います。療養中に競馬番組に出演された時も、この先いつか彼が年をとってステッキを置くことになっても、またこうして競馬の解説者として活躍してくれるかもしれないなと想像していました。
後藤騎手のフェイスブックをあらためて見ると、自分の命の限りを数えるように更新の頻度が上がって、身の回りは楽しいことだらけであることを確認しながら、それをどんどん加速させて死に向かっていったような…。
すでに想像することしかできない場所へ行ってしまった今だから、そう思えてしまうのでしょうか。
「今ごろスダチに叱られてるね…」
親が子にそうするように、
愛しているからこそ、涙をこらえて叱るのだと信じて疑わない私はこうつぶやきました。
後藤騎手にはたくさんのお手馬がいましたが、中でもやはりシゲルスダチが1番に思い出されます。
ひとあし早く旅立っていたスダチは、天国の入り口で後藤騎手を待っていたかもしれません。
そして、心友だけに許されたありったけの優しい声で
「ここに来たらもう帰れないんだよ…」と、とても静かにひとことだけ嘶き、大き過ぎることを遂げて放心している彼を背中に乗せ、痛みや苦しみのないやわらかな世界へ連れて行ってくれたと想像しています。
後藤騎手、ごめんなさいね、想像ばかりで書いてしまって。
でもあなたはもう、想像の中のひとになってしまったから。
どうか、どうか安らかに。私は自分にできるだけの冥福を遠くより祈っています。
拝読し、通勤の電車の中で涙してしまいました。
いち競馬ファンでしかない私は、後藤騎手とは、競馬場で観たり、facebook での書き込みを拝見するくらいの関係でしかありませんでした。だからこそなのかもしれませんが、土曜日に献花をし手を合わせたにもかかわらず、亡くなったということをどこかまだ信じられずにいました。もちろん戸惑いつつも頭ではわかっていましたし、ぽっかりと穴の空いたような喪失感もありましたが、「ご冥福をお祈りします」という願いをする気持ちにどうしてもなれず。
でも、上坂さんがお書きになったスダチくんと後藤さんを読み、ふと「ああそうなんだな」と思いました。
いまは、後藤さんが寂しくなく、痛くなく、安らかであることを願います。
上坂さん、ありがとうございました。
MK 2015-03-02 13:05:14
MKさん、こんばんは。お読みいただきありがとうございました。
後藤騎手の献花に行ってらしたのですね。
どういうわけか、札幌競馬場には献花台が設置されなくて、とても残念に思っています。
こんなことをいうといけないのかもしれませんが、
私は後藤騎手の死が信じられないものではなく、
どんなひとにも「ありえること」だと思っているんですよ。。
ひどくひとりよがりに書いてしまい
スダチに乗った後藤騎手から
「いやいや、おしいな。ちょっと違うなぁ~」なんて
言われているかもしれません。
死を選んだ理由はこれ以上詮索してもしかたのないことなので
あとはMKさんのおっしゃる通り
ただただ安らかにと私も願っています。
上坂由香 2015-03-02 20:27:41