昨夜のうちにカレンダーをめくって、あー2月だ、もう2月だ!挙句の果てに「来月は3月だ!」と、口を割ってかかりまくっていた。そのためか、ゆうべは出て来てはいけないひとが夢に出てきて、今朝は変な気持ちでいる。こんなに晴れているのにーー。
1月30日。オレハマッテルゼやエガオヲミセテの母カーリーエンジェルを引き取ったHさんと一緒に、ホーストラスト北海道に行ってきた。
冬期間は雪道の峠越えがあるため、なかなか行けずにいたが、この牧場にカーリーを預けているHさんのお誘いが嬉しく、肉付きのいい、でかくて重た~い腰がひょいとあがった。
トラストオーナーをしているアドマイヤチャンプに会いたいのはもちろん、昨年の11月に千葉県からやってきたヤマニンキングリー(父アグネスデジタル)が気になってしかたがない。私はキングリーに会って、ひとこと謝りたいなと思っていた。
2009年札幌記念の日。まだ古い建物の札幌競馬場は、異様な熱気に包まれていた。
―――ここを勝って、華々しく凱旋門賞に行くブエナビスタがみたい。
我々札幌市民を含めた競馬ファンは、この地からブエナをフランスに送り出すのだ!という誇りに満ちた思いで駆けつけていたに違いなかった。
ところが、そのブエナ。いつものように後方から追い込みを開始するも、彼女にとって札幌競馬場の最後の直線は短すぎた。早めに抜け出していたヤマニンキングリーをとらえることができず、クビ差の2着。頭をかかえ絶望した私は、競馬に両足を突っ込んでから初めて「野次」というものを飛ばしてしまった。「しばやまー!このヤロー!」…。
大好きだったブエナを負かした馬は忘れられないが、特に、凱旋門賞行きがかかった時のキングリーと、そんなんで降着にするんじゃないよ!と思った2010年のジャパンカップ、ローズキングダムは強くインプットされている。競馬というものを、まるでわかっていない頃の話なのでお許しいただきたい。
そのヤマニンキングリーが、ひどくやせ細ってホーストラスト北海道にたどり着いたという知らせが届いた。
現役時代のキングリーは、闘いの場を慣れ親しんだ芝から砂に移し、2011年にはユタカを乗せて阪神シリウスステークスを優勝。2013年に中京の芝に戻ったのを最後に、2014年からは川崎競馬に移籍。名古屋のレース中にケガをして引退。乗馬になっていたという。
けれどそのケガは思いのほか重症だったようで、ひとを乗せるのは無理とみた乗馬クラブは、キングリーの生きる道を余生牧場に託した。
ホーストラスト北海道の酒井代表が「馬運車から降りて来た時は、本当にびっくりしました」と語るくらい、キングリーは痩せていたが、その後手厚いケアをして、ひと月もすると、他の馬たちと変わらないくらい馬体は回復したという。今では、冬毛が伸びたこともあってか、見違えるほどふっくらとして毛艶もよく、明るく輝く瞳の中に、目の前にそびえる岩内岳を写し込んでいた。
「キングリー、ヤジってごめんね」
何か勝手に舞い上がってバカなことばかりいってしまったけれど、キングリーがあの日「とても強かった」から、ブエナは負けただけのことに過ぎない。あの頃は、凱旋門賞がとてつもなく特別なものに感じていたけれど、今はそうでもなくなった。
国内で、みんなの前でレースをしてくれることが一番素敵なことだと思えるようになったからだ。
なにはともあれ、よくぞここに来てくれたと、キングリーにニンジンを食べさせ、その後は顔やら首やらをしつこいくらいに撫でくりまわし、ええこやな~とお腹のあたりを触った途端、
「そこはアカン!」…。思いっ切り睨まれました。面倒くさい男だな。
酒井代表は「どっちかというとウルサイ馬みたいですよ。腹のあたりは嫌がりますね」
キングリーはまず、放牧地のボスであるエイシンキャメロンの洗礼を受けた方がいいんじゃない?というと、酒井代表とスタッフの土舘さんは「2頭で蹴りあいになるかもしれません」といいながらも爆笑。やっぱり男って面倒くさいな。ははは。
馬体も回復し、元気いっぱいになったキングリーは、少しずつ他の馬と一緒に放牧できるように慣れさせて行くそうで、キャメロンとの意地の張り合いも含めて、楽しみがまたひとつ増えることになった。案外、いい友だちになってたりして。