皆様こんにちは、河合紗希子です。
先日のこと。
早めに収録が終わってスタジオの外に出たらとてもいいお天気だったので、飯田橋から九段下駅までてくてくと歩いてみることにしました。
飯田橋〜九段下は幼〜高まで通った母校がある場所で、私にとって15年間の通学路だった馴染みの深いエリア。
春の日差しに照らされた川沿いの桜があまりに美しかったのと、もう一つ、先日お誕生日のプレゼントでいただいたこの本を読んで、どうしても立ち寄りたいところがあったからです。
人と共に生きる 日本の馬
高草 操 (著) ▶︎Amazonでの購入はこちら
2020年度JRA賞馬事文化賞受賞作品。
著者は、20年以上「日本の馬」をテーマに取材・撮影をされてきた女性カメラマン・高草操さん。
日本の在来馬の紹介から始まり、馬と土地と文化、日本人と馬との歴史がまとめられた素晴らしい一冊です。
馬に対する著者の暖かな眼差しと、細かく緻密な取材、実際足を運んできたからこその臨場感に満ちていて、夢中で読みほしてしまいました。
私が馬に興味を持ったのは、祖父の職業が騎手・調教師だったことがスタートで、今はもちろん競馬そのものが大好きなのですが、ベースにあるのは、子供の頃に聞いていた祖父の若い頃の話だったりします。
祖父は神田育ちの江戸っ子で、「子供の頃はこの辺で馬に乗って都電と競争していた」「この道を馬車が走っていた」など、今では面影を探すのも難しいような大正〜昭和の東京の景色の話をしてくれました。
競馬や馬に自ら興味を持つようになった今は、シンプルに毎週のレースを楽んでいる一方、ふとした瞬間に出会えた資料で、幼い頃に頭で想像しながら聞いていた祖父の話が、一気に立体感を帯びて心におさまっていくことも楽しいのです。
ところが…。
そこから派生して生まれた疑問などを調べていこうとすると、なかなか難しい。
馬と人との文化に関する資料というのは、一部の有名な祭りなどをのぞくと、簡単なまとめ程度しかすぐに手に入らないんですよね。
ここからどうなったんだろう?どうやってここに繋がっていくんだろう?というような部分まで含めて調べようとすると、大きめのデータベースを尋ねなくてはならず、興味を持ったもののそこで止まってしまっていることが色々ありました。
この本は、人と馬がどのように関わってきたか、始まりから私が知りたいと思っていた「今」に至るまで本当に細かく記されていて、まるで自分自身もそれらの歴史を見てきたかのような、追体験をしたような気持ちになれる一冊でした。
その中で私が特に興味を持ったのが、第3章「人とともに生きた馬たち」のなかの「⑥軍馬に捧げる鎮魂歌」です。
戦争では多くの馬たちが「軍馬」として利用されたということは私もうっすら知っていたのですが、著者の高草操さんと同じ理由で、これまであまり触れないようにしてきました。
しかし昨年の3月、このBlogにも綴った、乃木坂に残る旧乃木邸と馬小屋を見たとき、そもそも近代競馬は「軍馬増強」から始まったという話を思い出し、人と馬と戦争について、もっともっと知るべきことがあるのでは…むしろ避けて通ってはいけないものなのでは…と思ったのでした。
(ちなみに、同章に乃木邸の馬小屋に名前のあった壽号についての詳細な記述も掲載されていました。)
私がこの章を読んで何よりもドキッとしたのは靖国神社の慰霊祭について。
文頭に綴った通り、私は幼〜高までの15年間、九段下にある学校に通っていました。
靖国神社というのは駅から学校までの「通学路」で、私は15年間毎日ここを通過していたのですが、なんとそこに軍馬の慰霊碑があり、毎年さくらの咲く季節に慰霊祭が行われているというのです。
あまりの衝撃にガツンと頭を殴られたような気持ちでした。
いくら避けたいと思っていた事柄だったとしても、15年ほぼ毎日通っていた場所。
これはあまりの「無関心さ」です。
そういうわけで、靖国神社に行ける機会があったら必ず足を運ばなくては、と思っていたのでした。
足を運んだのは、靖国神社の遊就館前の広場。
第二鳥居を入り、右手にある能楽堂を進んで遊就館入り口の前。
参拝殿の裏側です。
靖国神社
https://www.yasukuni.or.jp
MAPはこちのページへ
https://www.yasukuni.or.jp/precincts/map.html
戦没馬慰霊像・鳩魂塔・軍犬慰霊像
リサーチせずに足を運んだので、まず馬像だけではなく犬と鳩の像もあることにびっくり。
戦争では、馬だけでなく犬や鳩といった動物も利用され、ここにはそれら「軍用動物」の慰霊碑が奉納されていたのです。
こういうことも全く知らずにいた自分の無知と無関心に、改めて反省しきりでした。
▶︎靖国神社HPより転載させていただきます
https://www.yasukuni.or.jp
戦没馬慰霊像は、実物大の軍馬の銅像で、戦場で斃れた馬の霊をなぐさめるため昭和33年(1958)に奉納されました。「鳩と地球儀」と題した鳩魂塔は、戦地などでの通信に大きな役割を果たした伝書鳩の霊をなぐさめるため昭和57年(1982)に奉納されたものです。 軍犬慰霊像は兵士たちにとって最愛の仲間であったジャーマン・シェパードの銅像で、平成4年(1992)に奉納されました。
戦没馬慰霊像
鳩魂塔
軍犬慰霊像
戦没馬慰霊像 説明板
▶︎説明板より転載させていただきます
戦没馬慰霊像に思う。
「馬ほど心の美しい動物はない」
明治初期から昭和20年8月15日の終戦に至るまで、幾多の戦役にかり出されおよそ100万頭の馬が戦陣に斃れた。軍馬補充部で育成された軍馬や農家からの購買または徴発馬が、斥候、行軍、戦闘のため戦場を駆巡る乗馬として、あるいはいかなる難路にも屈せず重い火砲を引く輓馬、軍需品を背負い搬送する駄馬として戦地に赴いた。
御国のため戦場を駆巡り、屍を野辺に晒したもの数知れず、終戦まで生き長らえても、再び懐かしい故国に還ったのは僅か1、2頭である。山紫水明の生まれ故郷を思い起こしたことであろう。それでも黙々として生を終えた。
この馬像の作者 伊藤國男氏(明治23年~昭和45年)は生涯に千数百点もの馬像を手掛けた彫塑家である。同氏は戦場において輝かしい功績を遺した戦歿馬のことが脳裏から一時も離れず、私財を傾け鎮魂の証としてこの像を制作、靖国神社に献納したが、台座に費やす財はなく、数年間建立されることはなかった。
かって馬術の選手として2回もオリンピックに出場し、戦後は皇居内の乗馬クラブで教官を務めた城戸俊三氏は、この話を聞くや早速、旧軍人や馬主に呼びかけ、昭和32年4月に戦歿馬慰霊像奉献協賛会を結成、広く浄財を募り、翌年の4月7日に建立除幕式を行い、靖国神社に奉納した。
台座の「戦歿馬慰霊」の揮毫は元華族の北白川房子様の染筆である。 以来、毎年桜花爛漫の4月7日を「愛馬の日」とし、《戦歿馬慰霊祭》がこの場で行われている。
※2012年からは、4月の第1日曜日に、軍馬・軍犬・軍鳩合同慰霊祭として行われるようになったそうです
文字にしきれないような、考えさせられる時間
この後、あまりに知らないことだらけの自分に恥ずかしくなり、遊就館に立ち寄ってから帰路につきました。
遊就館から出てきた時、再び目に入ってきたのはこの光景。
あたたかな春のひざし
美しい青空
満開の桜
風に舞うピンク色の花びら
無邪気に響く子供の声
おだやかに行き交う人々
胸がズキズキと痛む資料を見続けた後にこの景色を見て、うまく表現できないのですが、(あっそうか、これが「平和」だ)と思ってしまいました。
人、馬、生きものたち。
たくさんのいのちの犠牲があったことを忘れてはいけないし、知らずにいようとしていたこれまでの己の姿勢もまた、改めなくては。
犠牲になった方々、そして生きものたちの魂に、そっと手を合わせて靖国神社を後にしました。
彼らの魂が、安らかでありますように。
10年、100年、1000年後も、今日のように、美しい春が訪れますように。
そう願ってやみません。
ではではみなさま、今週も素敵な競馬ライフを
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