みなさまこんにちは、河合紗希子です。
演技修行中のロサンゼルスから更新しています。
今回も、1958年、私の祖父・保田隆芳が、日本馬ハクチカラとともにアメリカ遠征をした際の手帳から。
※無断で転載、複製などはご遠慮下さい
祖父の手帳には、日記のほかにさまざまなメモ書きもありました。
なかにはこんなものも…。
※無断で転載、複製などはご遠慮下さい
「エイジオント」はエージェント、「バレー」はバレットのことでしょうか
ハクチカラとともに日本からアメリカに行ったのは、祖父と、通訳の石田禮吉さんの二人のみ。
祖父は英語はできませんでしたが、帰国後、母に「競馬に関する言葉はすぐに覚えられたよ」と話したんだそうです。
日記には、ハクチカラの日々の状態のほか、アメリカの競馬のシステムや馬具などに対する新鮮な驚きがたくさん記録されています。
このアメリカ遠征で、祖父はモンキー乗りの騎乗法を習得し日本に持ち帰ったほか、競馬会にジョッキールームや調整ルームの導入の進言もし、それを受けて現在のジョッキールームや調整ルームが出来たそうです。
手帳にも度々ジョッキールームについて書かれていて、6月7日にはこんなふうに、バレットさんの存在についての記述もありました。
ジョッキールームに行き、谷口君とパトロールを見に行く。毎日十二時ヨリ十二時四十五分迄ジョッキーがパトロールを見れる時間で一時ヨリ一時四十五分迄、トレーナー、オーナーが見れる時間で日本も此の様に毎日パトロールを見せる様にしたらと思ふ。
ジョッキールームの設備は実に良く、ジョッキーはルームに勝負の仕たくををいて有る。其こにはボーイが居て、全部ジョッキーのめんどう見る。其のかわり、ジョッキーは自分の乗上料、進上金の分割をやる。
(6月7日の記録より抜粋)
手帳の記録を読んでいると、日本とアメリカの違いに対してネガティブな心情の記載はなく、綴られている内容からは、祖父のこころに純粋な驚きと強い感動が次々に湧いている印象を受けます。
「競馬に関することはすぐに覚えられた」の裏側にあったものって、どんなだったんだろうなぁ。
ロサンゼルスで1958年の記録をたどりながら、祖父が生きている時に、もっともっとたくさん話を聞きたかったなあと、やはり思わずにいられないのでした。
ではではみなさま、今週も素敵な競馬ライフを
-------------------
おしらせ/保田隆芳の資料につきまして
2024年8月より
私、河合紗希子が窓口となって管理させていただくこととなりました。
今後、写真や資料などにつきましては、
直接ご連絡いただくか、河合紗希子宛のメールフォームにお問い合わせくださいますようお願い申し上げます。
▶︎Mail form
https://greenforest.jimdofree.com/contact/mailform-1/
▶︎公式LINE
https://lin.ee/YA5Kmmt
----------------------------**
個人BlogやTwitterもつれづれなるままに運営ちゅうです。
Twitter … @sakkomaru
Instagram … photogreenforest
個人HP … グリーンフォレスト